朝だからと言って死にたくないわけじゃない
また生かされてしまったということ
苦しい
昨夜、安定剤と梅酒を多量摂取して身を清めているとバスタブで転倒
左肘がめちゃくちゃ痛くて「助けてー」と思ったけれど、自宅にはひとり
自力でなんとか立ってスキンケアとヘアケアした
そのあと、肘に貼りやすい湿布の貼り方を検索し、その通りにしてみたけど、グニャっとなった
気付いたら、右膝にもあざができてましたよ
お恥ずかしいったら、ありゃしない

↑
参道に咲くコスモスがキレイ
ちゃんと氏神様がいらっしゃる神社へ1日詣りをしたので、このくらいで済んだのでしょう
ありがとうございます
いっそのこと、私のことなんて消し去ってくださって構わないのに
全裸で死ぬのはイヤだけど、もうそれでもいい
どうせ死んでるから、恥ずかしさなんてないもん
3歳で母が他界したので、子どもの頃から現実主義者なんですよ
穢れを知らない子どもがただひたすらに強く純粋に願っても叶わないものは叶わない
『おかあさんに会いたい』
何度も何度も繰り返して願っても叶わないことで
今で言う『親ガチャ』大失敗な家庭に私は生まれたのでしょう
私はよく子どもの頃、亡くなった母に対して
「どうせ死ぬなら、私なんて生まんでほしかった」
と仏壇にごはんをお供えしながら、夜空を見ながら、恨みごとを言っていた(罰当たり)
母にかわいがってもらった記憶も言葉もない
近所の人は私のことを
「お母さんが病気で早くに亡くなってねー、かわいそうな子なのよー」
だとお決まりのフレーズのように言い、それを聞いた周りの人間はそのような目で気の毒そうに私のことを見る
たしかに母の顔も声も言葉も仕草も言動もクセも何も初めから知らん
ただ、かわいそうなんてことはない
初めから知らんのだからかわいそうになりようがないのに
私のことを悲劇のヒロインに仕立て上げるなよ
しかしながら、早く病気で死んでしまうなら、いっそのこと、私という存在をなかったことにしてもらいたかったというのは事実であって
楽しいことやたまに訪れる幸せなことも今は大量のマイナスが両手いっぱい、心の中にもたくさん多過ぎて今の私には抱えきれない
スマホで[楽になる方法]や[痛くない死に方]や[安定剤で死ねるか]などを検索しては悉く
【 いのちSOS 】【 ヘルプが利用可能 】をおすすめされる
そんなことじゃねえ
今、消えたいんだ
ふと思う
「 消えたい 」と「 助けてほしい 」ということは=なのか?
びっちびちに愛情で満たしてくれる食べものや場所、空間、人間を探してみようかな
まだ、消えたい気持ちがいっぱいで動きたくないけどー